シングルファザーでチャイルドカウンセラー、家族療法カウンセラーのてっちゃんです。資格を活かして、子育てやシングルパパの方の役に立つ情報を発信しています。今回は【父親が親権争い!過酷な道を進む覚悟が必要!【体験談 Part2】】をお話いたします。
父親が親権争い!過酷な道を進む覚悟が必要!【体験談 Part2】
前回の記事はこちら

初めての調停に出頭
調停期日が決まった時から、僕の身体には異常が表れ始めました。身体の震え、吐き気、判断ミスなどなど、普段の身体とは明らかに変わっているのがわかりました。
弁護士からは再三、「落ち着いて今回の調停では、目的は子の引き渡し審判の受理をしてもらうことだけ」と言われていましたが、出て行って以来会う元妻、しかも答弁書の内容からして、もう僕の知っている元妻ではないと思うと、調停の場でも、何を言われるのか想像も出来ませんでした。
調停日は、情けないですが、緊張、不安、恐怖、色んな感情が特に色濃く出て、前日は睡眠すらマトモに出来ず、水を常に持っていないと、常に嘔吐反射をしていました。恐らく、顔色も尋常じゃないぐらい悪かったと思います。
裁判所について、弁護士と合流しても不安な感情は抑えきれず、ずっと体が震えていました。裁判所で受付をしてから、待合室で待っているのですが、時が止まったように時間が進まず、段々と弁護士の先生の会話すら耳に入らなくなるぐらいに恐怖で支配されていました。
調停室に呼ばれ、入室すると、調停委員と元妻、元妻の弁護士が座っていました。元妻とは目すら合いませんでした。先程までの恐怖とは裏腹に、入室して元妻の姿を見た時に不思議と恐怖心は抜け、冷静になることが出来ました。
そこからは、僕の弁護士の先生がこちらの主張を言い、子の引き渡し審判を元妻に受理していただくと言い、その内容に調停委員は、裁判官の判断を委ねるとし、調停では稀な、裁判官が調停室に入室してきて、子の引き渡し審判を受理させて、子の引き渡し審判を正式に行う決定をしていただいた。
一番気になる子供の事に関しては、元気に過ごしている。ただただそれだけの情報しか与えてくれなかった。
また、住所不定の元妻は、裁判官の再三の説得にも応じず、今回の調停では住所を明らかにしなかった。後日、弁護士同士で、住所を明らかにしても良いが、僕は無断でその土地に行くこと、近づく事を禁止とした上で、元妻の住所地を明らかにすることが出来た。
何より、子の引き渡し審判を正式に行うことが出来た事が、何よりホッした、実は、最悪の想定として、今回の調停に元妻が出頭するかしないかで、また進め具合が変わる事になっていた。もし元妻が来なければ、子の引き渡し審判を受理してもらえず、正式に子の引き渡し審判が始められない。そうなると、元妻の方で子供との生活がドンドン進められて、審判をしても子供を取り戻せない確率がドンドンドンドン上がってくるのである。
そうなってくると、不利なものが更に不利になってくるので、元妻が調停に現れるかどうかというのもターニングポイントの一つであった。その更に不利なるかも知れない想定もあったので、不安と恐怖で支配されていたが、入室で元妻が来ていた事を確認した時に冷静になることが出来たのです。
スポンサーリンク
ここからが本当の子供を取り戻すための戦い
ここより以下は元妻を相手方と呼びます。
しかし、ここからが本当の争いになって来ます。こちらの手も何処でどう出して相手方を崩していくか、一つの駆け引きが命取りになったりもします。元々、争うことが好きじゃない平和主義者ですが、そんな事を言っていたら、子供は取り戻せない。嘘や過剰な主張をする事は虚偽罪に当たるため絶対にしてはいけないが、突ける所は、突いて行かないといけないと弁護士に肝を命じられました。
相手方の答弁書を見た限りでは、もう臨戦状態です。とことん来る勢いでしたが、僕のダメな所でもあるのですが、子供の事、2人の子供の事なのに、こんな争い合う事自体が凄く悲しかったです。でも、その気持ちよりも、子供を自分の元へと戻したい、元の生活環境に戻してあげたいと思う気持ちが強く、子の引き渡し審判が始まったからには、やり切る覚悟を持ちました。
子の引き渡し審判、相手方の住所地が、僕が住んでいた住所地から結構離れた場所にあり、家事審判の場合、子供が住んでいる居住地で審判を行うことが望ましいという観点から、相手方の住所地の管轄内にある家庭裁判所で行われた。
相手方住所の管轄内にある家庭裁判所は、僕の家から約2時間半かかる場所。その道中の電車の中ではいつも色んな思いが込み上げてきて、泣きそうになっていた。仕事もいつもならしないミスが増え、注意散漫なのか、怪我も増えた。金縛りにもよくあった。あの時は、呪いという物は本当にあって、何か凄まじい者に呪われているんじゃないかって本当に本気で思っていた。
子の引き渡し審判、1回目
家庭裁判所の入り口で弁護士の先生と待ち合わせ、合流して今日の審判の最終調整をする。ここからが本当の勝負、しくじったら子供は帰ってこない。また、不安と恐怖とプレッシャーで押し潰されそうになった。
調停委員に呼ばれて調停室に入ると、裁判官、調停員、調査官、相手方、相手方弁護士が座っていた。裁判官から、質疑応答を受ける、僕の弁護士が話そうとするが、僕自身に答えてもらうようと言われた。緊張していたものが、更に緊張した。代理人である弁護士が主張や質疑応答に答えるものと思っていたので、その段取りは自分の中ではなかったから、余計に焦った。
でも、質疑応答は、単純なもので、同居していた時の、家事分担、子育ての割合、子供への接し方、などを聞かれたので、正直に答えた。ただ、相手方、弁護士からは、彼は嘘をついていると言われたりしたので、それには驚いた。
その後、裁判官は、相手方へ質疑応答、出て行った理由、住居を隠した理由、子供を合わせない理由などを事細かく聞いた上で、裁判官は相手方に対して、「正当な理由なく、子供を連れ去り、そして子供と父親との関係を潰している。これは子の福祉に反する、許されない行為である。直ちに、子供を父親に会わせるように!」と少し荒げて声で相手方に伝えた。相手方は涙を流しながら頷いていた。
子の福祉については

調停員、調査官も裁判官に同意し、子供の為に早期に面会交流の日程を決める事なった。この時は既に、子供と会えなくなってから5ヶ月が過ぎていた。審判は終わり、面会交流の日程を決めた。子供に会える、大切な息子に会える、そう思うと、その場で泣き崩れてしまった。
そして、裁判官は、僕の主張を大方認めてくれ、相手方の主張を退ける形であったため、こちらに分配が上がったと確信もしたので、心にあった大きな穴が少し小さくなったように楽になった。
面会交流を決めた後は、調査官による面接、子供の生活状況を確認する日程を決めた。これは、裁判官に認めてもらう以上に、調査官の発言は偉大なものになるので、今回、幾ら裁判官が僕の方に傾いていても調査官が、相手方と言えば、相手方の勝ちになってしまう。と行っても過言ではないぐらい強力な権限を持っている。
しかし、日程を決める際も、どちらかと言うと、僕の味方よりで会話が進んで行っていた。これは僕だけではなく、同席していた弁護士の先生も同じ感覚であった。完全に僕が有利になって進んでいる。息子にも会える事が決まった。判決は決まっていないけど、子供は戻ってくるかも知れないと言う期待が大きく見えてきた瞬間でした。
調査官との面接
子の引き渡し審判で、ターニングポイントになる調査官との面接。恐らく僕はここで一つのミスを犯していました。

上記の中にも書いてあるのですが、必要以上に相手方の事を褒め過ぎたのです。もちろん嘘ではないし、嘘をついてまで、真実を曲げる事はしたくないので、真実を言ったのですが、その発言が後の調査官報告書にそのまま載せられていました。
その時のやり取りが、調査官から、「相手方と子供の関係はどうでしたか?」と言う問いに対して、うまく誤魔化せばよかったのですが、「子供に対しては最高の母親でした。」と答えました。突ける所は全て突いて、僕が育てる方が全てに置いて子の福祉にも良い、環境も元の環境に戻るだけなので、子供にとっても負担はない。元通りに戻れるだけ。と説明し、調査官も納得してくれていました。
全てを突くと、ただの暴言だけになってしまうし、子供と一緒にいてる時は特段問題なかったので、そう伝えたその一言が、大きく結果を変わらせたものになったのかも知れません。報告書には、【申立人(僕)も、相手方が子供に対して特段の問題は見つからず、むしろ親子関係は良好と認めているので、子供を申立人に引き渡す必要はなく、現状のまま相手方が育てる事が望ましい】と記載された。
※上記記載は報告書の中でもごく一部の内容です。
もしかすると、その一言がなくても、結果は同じだったかも知れません。ですが、報告書に自分が発言した言葉がそのまま記載されている以上、その一言で調査官の考えが少しでも変わって、色んな所で影響を受けたのかも知れないと考えると、後悔でいっぱいで胸が張り裂けそうでした。
この報告書の内容で、この子の引き渡し審判は、裁判官の判決文を聞くまでもなく、終わりを告げた事を理解した。この報告書をみるまで、少しでも子供が帰ってくる望みを希望を抱いていた自分が本当に情けなくて、自分で自分を呪いたくなりました。
そして、この報告書が作成された、数日後、家庭裁判所に行き、審判決定文を配られ裁判官から説明を受けた。予想通り、子供を引き渡せと言う主張は却下された。
続く。

関連記事








コメント
[…] […]
[…] […]